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©mutsumi tsuda

「FEU NOS PERES ニューカレドニアの日系人」展によせて
エマニュエル・カザレル チバウ文化センター館長

 

ニューカレドニアにおける移民の歴史は古く、約3000年以上前にまでさかのぼる。160年前、そして植民地時代初期から、移民はニューカレドニアを大きく変えていくことになる。主にヨーロッパからの移民だったが、オセアニアやアジアからも次から次へと、実に様々な出身地の人々がやってきて、先住民であるカナックの周りにモザイクのようにアイデンティティーを築いていった。そして世代を追うごとに、またコミュニティー間の結びつきと共に、現代のニューカレドニアの多様な人口分布が出来上がっていった。

 移民の規模、期間と出身地の均質性に応じて、移民たちはまず同じ出身地同士でグループを作る。このように出身地とのつながりを求めようとする傾向は、置き去りにした故郷や文化を思い起こすために集まりたいという強い気持ちをもった第一世代に多く見られる。また、異国の地で新しい生活を始めるのが必ずしも容易ではない時、助け合える仲間になることも多い。第二世代になると、出身地に対する帰属意識はだんだん薄まり、それに代わって新しいコミュニティーへの帰属意識が現れる。すると、どんどん遠のいていく過去とのつながりを再定義するための不可欠なステップとして記憶の作業が行われるようになる。

 ニューカレドニアの日本人は、ニューカレドニア社会に定着していたにもかかわらず、第二次世界大戦をきっかけに状況が一変したために非凡な経験をした。ニューカレドニアの日系人コミュニティーは、歴史をたどる作業を始めていた。彼らが、造形作家である津田睦美と出会うことで、アートと歴史、口承の記憶と写真ドキュメントとを融合させた共同プロジェクトが展開されることになった。

 津田睦美は、何年も前から歴史をテーマに芸術作品を創作している。広島に関する作品は、彼女自身の家族の過去への回顧、そして第二次世界大戦の歴史と切り離せないものである。彼女が写真を通じて探るのは、歴史的な出来事だけでなく、個人的あるいは共同の記憶、過去を選別、削除、そして再編成する記憶である。

 第二次世界大戦によって永遠に引き離されたニューカレドニアの家族の歴史を目の前にした彼女は、まずためらいを捨て、それぞれの日系人と共に、彼らの個人的な歴史に完全に浸かることとなった。ニューカレドニア日本親善協会会長で、日系人であるマリー=ジョゼ・ミッシェル氏と連絡を取り始めた頃、「最初、個人の思い出の中に立ち入るのに戸惑いを感じていた」と打ち明けている。というのも、問題となる歴史が、まだ実際の体験と感情でできているものだからだ。その歴史を構成しているのは、感情のこもった証言、あるいは愛情やいなくなってしまった大切な人の思い出ゆえにかけがえのないものになった日用品などである。彼女が出会う家族はみな、一家が引き離される前の幸せな時代にあった「失われた楽園」の古い思い出を語るとき、彼らの素直な気持ちを打ち明ける。

 ここでは写真が大きな役割を果たす。公文書館から見つけ出した、あるいは日系家族から信頼を得て借りた昔の写真には、落ち着いた表情の人物がカメラの方を向いて写っている。1905年にポーハタン号でやってきた日本人移民の写真は意味深く、全員の顔、ほとんどの視線が写真家の方を向いている。過去の顔や視線が今日それを見る者に問いかける。

 津田睦美による現代の写真は、過去の光景の鏡のようだ。彼女が撮る日系人はできるだけ時間を留め、消えた先祖とつながろうとするかのように、ほとんどみな静止していている。顔も視線も、写真作家のレンズを向いている。昔の重々しい表情とは対照的に、津田睦美が撮った写真には明るさが感じられる。

 過去の写真家のレンズと、現在の写真作家のレンズとが、時を越える架け橋のように、先祖の視線と現世代の視線をつなぐ。観客が過去と現在の一連の写真を見ることで、カメラが対話の場となる。
 
 お墓や住居、職場、置き去りにされた道具などといった今でも残っている思い出の場所が、割れてしまった花瓶の破片をつなぎ合わせようとするかのように、肖像写真と共に紹介されている。

 写真作家が撮る写真は、過去を探求する手段であると同時に、手に入った断片をつなぎ合わせるものでもある。考古学者というのは、遺跡のみを頼りに過去を探り、描き出していくが、彼女はそれだけでなく、バラバラになった人たちを寄せ集めようと、根気よく収集した証言と撮影で過去を補完している。

ヌメア、2007年2月
(翻訳:土屋ゆう)

 

 

*FNP活動報告書より転載